罪悪感を愛の延長に変えてくれます〜赦しの実践より〜



最近出会った兄弟で、私が「No」と伝えたことを、毎日のように何度も「して欲しい」と要求されるという事がありました。




そして、そのやり取りで、私の心を見つめると、その兄弟のせいで私は不快な思いをしていると、自我がその兄弟に罪を見ていることに気づき、何度も赦し…




最終的には




あなたとこれ以上お話をすることはありません。


と、なぜなのか?という理由と、出会って気づきをいただいたことへの感謝の気持ちを伝えて、それ以上のコミュニケーションを取るという事は無くなりました。 




そして、その兄弟とのコミュニケーションを通して、


自我の、相手に罪を見て「私がそれによって不快な気持ちにさせられた被害者だ…」と囁いている声を聞いては何度も聖霊に捧げました。




もし、自分の心の中に、自分自身に罪があるという信念がなければ、それを外側に見るという事は絶対にできません。



ですから、私の心が動揺したり不快な気持ちになるという事は、



外側に原因はなく、私の心の中の『神から分離したという誤った信念=罪悪感』を聖霊に訂正していただかなければ私の心が救われる事はないと思い出すことが大切です。




そうでなければ、普遍的に平安な心の状態でいれる事はないのです。




今回も、その兄弟と出会った事により、私の心の選択の結果を見せていただいた事と、


私の心の中の「罪悪感」を聖霊に訂正していただく機会をいただけた事に心より感謝いたします。



赦しの実践は、自我の罪悪感を、聖霊の愛の延長に変えてくれる心のトレーニングだと改めて実感しています。



イエス、聖霊


いつも、有難うございます。


………………




赦すとは、あなたが兄弟にされたと思っていることは実際に起こっていないと認識することだ。


それは罪を免じることによって対象をリアルにすることではない。


罪などないと見抜くことである。



その見方の中で、あなたのすべての罪が赦される。

(奇跡のコーステキスト引用)



不死というあなたの現実

ゲイリー・レナード著

152ページより


奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。