私のわがままによって相手を傷つけるのではないか?〜実践のシェアより〜



先日、個人セッションである兄弟が、赦しの実践の中で、自分の心に正直になっていくと、わがままになることもあるのではないか?



そして、そのわがままによって相手を傷付ける事にもなるのではないか?



と、シェアして下さいました。





私自身の実践の中で、現象や兄弟とのコミュニケーションで、心が違和感を感じ始めた時に、聖霊に聞くようにしています。




すると、その現象から離れる、または向き合う



その兄弟から離れる、または向き合うなど、



インスピレーションを受け取ります。





約2年前も、提携先との仕事を辞める…とインスピレーションがきました。




ただ、マインドで考えると、



上手く行っているのに


売上いいのに


相手の方と阿吽の呼吸で仕事が出来てるのに




などの思考が起こってきましたが、「提携を辞める」と相手に言わなければいけない…と受け取りました。




ただ、相手の方は以前に心理学を受けられた生徒さんでもあり、友達でもあったので、いきなり辞めるという事は、相手からすると私のわがままだと受け取ることもあると思います。



ただ、赦しの実践をしていると、自我と同一化してする選択は、過去の概念から良い・悪いと決めたり、得する、損するという判断で選択をしますが、



聖霊は、終わったところから全体を見て最善を教えて下さるので、信頼してそれに従うことだと実感しています。




そして、相手に伝える時も、 




私は分かりませんので、どうぞあなたが為さって下さい



と祈り、聖霊と共に伝えさせていただくようにしています。




もしかして、聖霊に委ねきれず、自我と共に相手に伝えるという失敗もあるかもしれませんが、



伝える前に、聖霊に「為さって下さい」と祈ることこそが、心を聖霊に完全に明け渡す訓練にもなっているのだと感じています。




そして、伝えたあとで、兄弟がシェアされた私のわがままで相手を傷付けたのではないか…などの「罪悪感」が出るようであれば、それも赦すのみなのだと感じています。




この様な、私が実践して感じた内容を、シェアして下さった兄弟にお伝えしました。





そして、兄弟がシェアして下さったことで、



私が心の中ですることは、心が自我と共にあるのか聖霊と共にあるのかを注意深く見つめ、聖霊に尋ね従うことが大切なのだと改めて実感させていただきました。





そして、自分の心に正直であることの目的が大切で、



自我の、「罪悪感」を強化するためなのか



聖霊が導いて下さっている「赦し」の目的のためなのか




目的を思い出すことで、聖霊に祈り、共にさせていただくことが、真の目覚めへの時間短縮になるのだとの実感が深くなってきています。





イエス、聖霊


真実へと導いて下さり有難うございます。





奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。