愛を与えるとは?神があなたに与えた機能です〜



赦しの実践をしていると、奇跡のコースで伝えられている「与えること」が、現象の中での何かを与えたり、行為レベルでの事を言ってるのではないと気付かされます。




そして、



与えることとは、




私の心を聖霊に明け渡し、聖霊に為さっていただくこと




または、聖霊が私にさせたいことのみを受け取り、従うことなのだと実感しています。





そして、最近の実践で、ある兄弟が私が思う通りにならない事で、私に攻撃の様な事を言ってきたことに対して、自我は相手は加害者で、私は被害者だという事を信じています。




ですが、その自我の思考を掴み続けても、分離の信念(罪悪感)を持ち続けたいという自我の目的が達成されるだけ…という事に気づきます。





そして、聖霊は、




分離は起きてなくて、



あなたを脅かす兄弟は居ない


あなたは脅かされる存在ではない



あなたの外側も内側も境界線が無く、ここには、神の愛が在ることのみを教えて下さいます。




だからこそ、その間違った思考・感情を聖霊に捧げ、



あなたと真に見れるように助けて下さい



目の前の兄弟に何を与えるべきか教えて下さい



と赦し尋ねることで、聖霊が最善を為さって下さいます。





そして、その反映として兄弟と共に受け入れ合う事が出来たり、相手に対する攻撃性又は恐れや悲しみは完全に消え去り、心に平安が取り戻されます。





そして、それは



自我の罪悪感の投影ではなく



神の愛の延長が為された




そして、私は神の愛をただ延長する、与える『器』として使っていただいたのだ…という気付きと神への感謝になります。





ですから、



奇跡のコースで言われている「与える」とは、心を聖霊に完全に委ねることなのだと…実感が深くなってきています。




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神は、ご自身のものから与えるのだから、何であれご自身に属するものを与える。



そして、すべては神に属している。



あなた自身のものを与えることは、神があなたに与えた機能である。



それを完璧に果たすことが、神からの何を自分がもっているのかを、あなたに思い出させ、



また、それによってあなたは、神の中で自分がいかなるものであるのかを思い出す。



奇跡講座テキスト編

T-8.3.8:3〜5




奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。