攻撃をしてくる彼をどう赦したらいいのか?〜恋愛を通して〜





一緒に奇跡のコースの実践をしている兄弟から連絡があり、



以前、お付き合いしていた彼と数ヶ月前に元に戻り、結婚を前提でまた付き合う事になった。




でも、それは聖霊の導きではなく、自我の欠乏感から選択したような気がしたんです。




そして、最近、ある事を話し合っている時に喧嘩になり、やっぱり元の彼とまた戻るという選択は、自我の欠乏感・寂しさを埋めるための選択だったと明確に気づいた。




だから、彼にやっぱり別れたいと告げた所、彼は、感情的になり許さない!と胸ぐらを掴まれ叩かれた




そして、何度も何度もそれから話し合ってきたけど、彼の方が感情的になって、色々と条件を付けて、脅すように「別れない」と言ってきた…



それに関して、彼から何かされるかもしれないという恐れと、彼の望みを受け入れることが出来ないという罪悪感も起こっているということでした。




そして、お話を聞いて、



あなたの心の状態が自我と同一化し、私は被害者で、彼は加害者で、彼を罪あるべきものだと見ていませんか?



と、尋ねたら「今は、そうですね!」と自分の心の状態を認められました。





そして、あなたの中に、彼が自分の欠乏感を埋めてくれるという執着が、まだ残ってませんか?と聞くと、



深く見ると、まだある事に気づいてます。ということでした。




それであれば、




あなたの心が変わらなければ


彼が変わることはない





そして、あなたの心が、彼が罪人であるという見方を続ければ、今の状態は、繰り返し起こるのみであなたの心は苦しみ続けます。




ですから、



彼に対して、出てくる思考・感情を隠さずに、しっかりと見つめて、すべて聖霊に捧げて下さい




そして、



彼に罪を見ること



彼が私の欠乏感を埋めてくれる



という自我の信念を掴むのをやめたいです



どうぞ、彼も私も同じ完璧な神の子であると見れるように助けて下さい



と、祈り・赦しに集中して下さい。





彼が、あなたの思いを受け入れていない以上、今は祈り赦して、



聖霊と共に、彼を神の子として見れるようになることが、救いであり、あなたの心に平安が取り戻されると思います。



とお伝えしたら、




分かりました!今日は祈りに集中して、聖霊に助けていただきますと言われました。





そして、それから数日後、彼と連絡が取れて、



あなたの気持ちに答えられなくてごめんなさい。


やっぱり、また付き合っても2人が幸せになれないと思ったので、別々の道を生きたいと伝え、


今まで有難うと感謝の気持ちを述べたところ、



彼も、穏やかな状態になっていて、自分のした事に対して謝罪し、別々の道を生きる事を受け入れてくれた



と、シェアして下さいました。





そして、彼女と赦すことによって、心の中の「罪悪感」を訂正していただき、聖霊が為さって下さったことに感謝ですね…と分かち合うことが出来ました。



今回の彼女のように、私も相手が自分に攻撃しているように見える時、




自我は



相手を変えたい


自分の思うようにコントロールしたい



私が変わる必要はなく、相手が変わるべきだ



と、自分の心を見ないように外側に原因を見させて、その見方を継続させようとします。





ですが、



本当の原因は外側にはなく、自分の心の中にあり、



その心の中の原因を見たくないが為に、外側に原因をすり替えて見ている



その見方を自分自身が望んでいるんだ…と認めてることで、



自分の心が自我と同一化していた事に気づき、聖霊に心を明け渡し、聖霊が最善を為さって下さいます。




私自身も、日々の赦しの中で、自分の心が自我と同一化している事に気づき赦すことで、


その反映として、外側が変化したり、自分の見方が変わるという体験を何度もしてきました。




今回も、兄弟の赦しの体験を通して、やはり外側に原因はなく 



内側の心の中の原因「罪悪感」を聖霊に捧げ委ねることで、助けていただけるのだ…と感謝の思いを分かち合うことが出来ました。




イエス、聖霊の導きに、心より感謝致します。


………………………




罪は「愛の欠如」と定義される。



愛は存在するすべてであるから、聖霊から見れば、



罪とは罰せられるべき悪ではなく、


訂正されるべき間違いである。




力不足、弱さ、物足りなさといった私たちが抱く感覚は、幻影の世界全体を支配している「欠乏の原理」への強い執着に由来している。



そうした観点から、私たちは自分に欠けていると感じているものを他者のうちに探し求める。



私たちが他者を「愛する」のは、自ら何かを手に入れるためである。



実はこれこそが、この夢の世界において愛だと思われているものの正体である。



これ以上の大きな間違いはない。





〜省略〜





神の創造した自己は何も必要としない。



それは永遠に完全であり、愛され、愛するものである。 



それは獲得するのではなく分かち合おうとし、投影するのではなく延長しようとする。



それは何も必要とせず、豊かさを相互に自覚しているので他者と繋がることを望む。



奇跡講座テキスト

21ページより



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。