本当の正直さとは〜愛のコミュニケーション〜



先日、奇跡のコースのシェア会の後、皆さんで食事に行った時に、ある一人の方がもう一人の方のパートナーの方に対して思っている正直な思いを伝えるという事を会話の中でされました。



ただ、その伝えた兄弟は、翌日にその正直な思いとは自我から伝えたジャッジの思いから言ってしまったのだ!と気づかれ、


赦して聖霊に祈って、もう一度、もう一人の方のパートナーに対する思いと、自分の心の中の赦すべき信念への気付きを、正直に伝えられました。




すると、その言われた方の兄弟も、「あなたが自分のパートナーに投影している事に気づいていたけど、受け入れ赦したので大丈夫ですよ。私との会話で赦すべき信念に気付かれて良かったです。シェアしてくれて有難うございます。」と返事がきたと仰っていました。




そして、シェアして下さった兄弟は、今まで、思ったことを相手にはっきり言い過ぎて、人間関係のトラブルが起こったり相手が自分から離れてゆくということが…


心が自我と同一化して、ジャッジから相手を攻撃していたという事が腑に落ちたと言われていました。




そして、更に自分の心の中に、男性に対するジャッジの信念があり、その事を赦していく必要があると気づいたとも教えて下さいました。



私自身も、この兄弟の様に自我の正直さから相手に伝えたことで、相手の嫌悪感や攻撃性を引き出して失敗するという事は経験しているので、兄弟の気持ちは分かります。




そして、実践をしてきて、自我の正直なまま相手に伝えることと、


聖霊共に相手に正直に伝えることは、全く違うことを実感しています。




そして、聖霊共に相手に正直に伝えるためには、



「私は何も分からない」と降参状態で、聖霊に教えて下さいと祈る。



すると、最善な答えを教えて下さり、伝えた後にこれが最善だったのですね…と感謝の思いで受け取ることが出来ます。



そして、いつでもではないのですが、伝えた相手からも愛から返答していただくという事もあります。




ですから、今回も、兄弟のシェアを聞きながら、深く深く自分の心を見つめ、手放すべき自我の信念を聖霊に捧げて、心を明け渡すことがいかに大切なのかを、更に腑に落とす事が出来ました。




そして、愛とは、心を聖霊に明け渡し、聖霊に為さっていただくことなのだ…と信頼が深くなっています。



有難うございます。




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あなたの世界の終わり

アジャシャンティ著

P81〜82より

↓↓




真実とは非常に高い基準です。


真実はオモチャではありません。


自分の内部で真実であることをいうことは、私たちが考えていることを言うことではないのです。



それは自分の意見を言うことではないのです。



それは自分のマインドのゴミを、誰か他の人の上に投げ捨てることではないのです。




そういったこと全ては幻想、倒錯、投影です。



真実とは、自分の意見を誰かの中に降ろすことではありません。



真実とは、物事についての自分の信念を言うことではありません。



それらは実際、私たちが真実から"隠れる"やり方です。



真実はそれよりもずっと親密なものです。



私たちが真実を語るとき、それは告白の感覚があります。




私の言う意味は、何かが悪いとか間違っているという告白ではなく、私達が隠れた場所から完全に出るという意味です。



真実は、シンプルなものです。



真実を話すことは、完全に絶対的に防衛しない感覚から話すことです。




一貫性をもって真実を語るためには、自分の中で真実を語るのを恐れているあらゆる領域に出会うことが必要なだけではなく、


「私はそれができない」と自分に言っている、私たちの信念構造をも見る必要があります。



こういった信念構造は、そのまさに性質からいって、非現実にもとづいています。



これを知るだけでは十分でなく、私たちはそれを実際に"見て"自分がまさに信じていることを認識しなければならないのです。



自分が二元性の中に入る原因となる、自分が対立と隠れ場へ入る原因となる信念構造とはまさに何なのか。



そのとき、初めて、あなたは私がここで議論している意味で、真実を語ることができるのです。




奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。