恐れを直視することで、愛だと気づく〜赦しを通してのつぶやき〜




昨日、兄弟とのやり取りを通して、心の中の「罪悪感」が吹き出して、



分離を信じている心の悲惨な状態を見つめて、涙が出た。




これは、赦しの実践を続けて、内観が深くなればなるほど、



私は分離した個(身体)だ


という信念を掴んでいる時は、この罪悪感がある




そして、それが私の苦しみの唯一の原因なのに、それを見ないようにと、外側に原因を見ている



その罪悪感とは、神から分離した、又は愛から切り離されたと信じたゆえの、恐れ、怒り、悲しみ、憎悪、欠乏感などの感情が入り混じっている。



それは、あまりにも強烈過ぎて少しずつしか見れないが、やがて強い意欲を持つと、常に見えてくる




ただ、それと共に聖霊から、



その誤った信念は「無」です 



あなたが、その信念にフォーカスしてリアルにしているだけで、


それをよく見ると、それは消えてゆき、その背景にある全一性が真実です




そして、私とともに神の平安の中に居ることを実感して下さいと、教えて下さっている



だからこそ、その罪悪感は恐れるべきものではなく、訂正されるべき信念であり、


それを捧げることで、聖霊が訂正してくださる。




そして、分離したと信じる信念を掴んだ心の状態がどんなに悲惨で惨めかを直視しないことには、


分離を維持していたいという自我の執着を手放すことができない




だからこそ、「罪悪感」を認識するという事は幸いなことであり、神と1つで在ることを思い出す道として、短縮の道なのだと実感する




そして、最近は、



奇跡講座のテキストの




『幻想を直視しない限り、真理に到達しない』




という内容が心に響く。




それは、夜にカーテン越しに揺れる木を、お化けと思い込み恐れていたけど、しっかり見ると木だったと気づくようなものでもある。




その様に、自分騙しをしているだけで、それをいつ辞めるか…だけだ。




そして、


聖霊は、いつも真理はここに在ることを教えて下さっている



有難うございます。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。