他人をどう見るかで、自分自身をどう思うかを決定している



愛は誰も忘れていない

ゲイリー・レナード著

19ページより


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パーサ

彼らをどう見るか、どう考えるかが、あなたが自分自身をどう思うかを決定するのよ。


つまり最終的に身体と霊(スピリット)のどちらが自分だと信じるのかということ。


あなたはどっちでいたい?



死ぬ運命にある一時的なものか、死ぬことのできない永続するものか?



どちらの経験をするかは、あなたが他者についてどう考えるかによって決まるのよ!


Jが「コース」で助言しているわ。



「決してこれを忘れないように。なぜなら、あなたは他者のなかに自分自身を見出し、あるいは、他者の中で自分自身を見失うからだ。」

(T.8.III.4:5)




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日々の赦しの実践の中で、他者に対して、攻撃の思いや怒りが出たとき、心の中の罪悪感を外側の兄弟にすり替えて(投影して)、相手は罪人だ!と…自我は訴える。



でも、他者を罪人だと見る時、同時に自分自身も罪人だと思っていることに気付く。 




そして、聖霊から、



それは、誤りであり私に捧げることで「無」へと消えていきます


なぜなら、今ここには神の愛があり、あなたは、神が創造した神の子であり、愛です



とインスピレーションがやってきます。




ですから、私がすることは、その間違いを心の中で掴んでいたことに気づき、それを辞めたいと祈る



すると、聖霊はすべきことを教えて下さり、心に平安や穏やかさが取り戻されます。




だから、いかに間違いを信じてきたかを認めることが出来る。




聖霊の教えなしでは、本当にどのように見るかを間違います。




そして、心にどの様な思考・感情が出てきても、それを聖霊は責めることなく、それは本当のあなたのものではなく、間違いであることだけを教えて下さいます。




今日も、聖霊共に真に見たいと意志します。



いつも、有難うございます。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。