最低最悪な私は「無」だった〜聖霊からのメッセージ



2012年、ある現象を通して、自分の心の中の最低最悪な私を見ることとなりました。



それは、仕事の人間関係を通して、裏切られたという気持ちになり、相手に対して怒り、絶望、憎しみ、攻撃の思考や感情が起こってきて、


そんな私自身も大嫌いになり、息をするのもきつい…という時期でした。




それまでは、いつもニコニコしていて、楽しそうで悩みなんてないでしょ?と他者から言われるくらい、


私自身も他人に対して、あまりジャッジや攻撃性もなく、生きやすい人生を送ってきましたし、思ったことは割と叶うという順風満帆な日々を送ってきていました。




ですが、1997年に心理学を学び講師になるという事から私の心の旅はスタートし、


真に目覚める過程として、自分の心を深く内観し、心の中の分離感(罪悪感)を見つめることが必要だったのだな…と実感しています。




ですから、今は、2012年に私に起きたことは良きことであり、最善だったのだと分かります。



そして、その当時は、あまりにも苦しくてインスピレーションを受けて購入した本の中に、この様な内容がありました。



「自分こそ、世界中で(宇宙中)で一番最低で最悪な人間でも構わない!」といったん認めることなのです。


『空』Mana著より





今、思えば、この内容は目覚めに向かうための必要なこととして、聖霊が教えて下さったのだなと感じています。



だから、2012年の心の中の、最低最悪な自分を認識した時に、これは悪いことではなく、良きことのために経験して見つめる必要があるんだと受け入れる事が出来ました。




ですから、先日奇跡のコースの個人セッションで、ある兄弟が、他者に対する憎悪の思いをシェアをされた時に、


こんな最悪な私のシェアをすることは、恥ずかしい…と思ってます



と、言ってくださったのですが、それは本当のあなたではなくて、無へと消えるために聖霊に捧げているから何も問題などなく、


目覚めの過程として良きことですよね…と分かち合う事が出来ました。




ですから、真に目覚めるまでは、最低最悪な自分の思考や感情は出続けると思うのですが、


赦しの実践を通して、それが「私」だ…という実感が薄れてゆくことも更に実感しています。




そして、それを心の中で掴まなければ、聖霊が神の愛の中で平安であることだけを教えて下さいます。



兄弟のシェアを通して、改めてイエス・聖霊の導きに信頼と感謝の思いが込み上げてきました。



有難うございます。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。