悟りの体験とは予想していたものと違いました②
後に私は信じられないほどの恩寵を受け取りました。
それはあまり頻繁には訪れることのない、もっとも美しく神秘的なさなかの出来事でした。
ときおり迷惑な小さな声が聞こえてきて、「続けて。これではないよ!」と言うのです。
私の残りの部分は
「これだよ。僕の肉体もマインドもすべてがこれだと言っているんだから、これでいいんだよ。
この途方もない歓喜の広がり、これこそが悟りに違いない」
と考えていました。
すると小さな声がふたたびやってきて「ここで立ち止まらないで。ここではないよ」と言うのです。
もしも、私に選択権があったとしたら、きっとその小さな声をつまんで窓から放り投げたでしょう。
なぜなら私は、他の人もそうしたすばらしい体験をしていることに気づいていましたし、少なくとも数日や数週間、そしてそのときには数ヵ月もそれらの体験を楽しみ、それらの訪れを確信する必要が彼らにあることを知っていたからです。
ところが私はというと、そうした体験のどれ一つとして10分以上享受することは稀でした。
だからといってそれらの体験がすぐ終わるわけではありません。
しかし、どんな体験のときも疑いという影がさしてそれが悟りではないことを知ったのです。
折に触れて何度もその声が、自分が落ち着きたかったであろう場所から外へと私を押し出してくれたのです。
私にとってはそれこそがすばらしい恩寵でした。
空 禅を生きる
アジャシャンティ著
P249より
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