2020.04.17 01:25神(源)に面倒見てもらっている自我は、時間をリアルにし、「自分の思った通りに計画を立てたい」と思っている事に気付かされます。そして、その計画が思った通りに行かないとき、怒りや悲しみを感じたり、それが「問題」だと見ます。しかし、その未来を見て「計画を立てたい」という思考を見つめると、根底に欠乏感や恐れがあり、それを埋めるためのものだと気付きます。そして、それが得られたら私の欠乏感を埋められると「ワクワク」して、愛で在る完全な本来の私を見ないようにしています。でも、赦しの実践を通して、聖霊と共に真に見ると、その自我の自分騙しの種明かしがなされていきます。そして、欲求が起こってきたとき「その欲求の目的は何か?」と自分自身の内側に問うた時、自我の目的を認識すると、その欲求が消えていくことがあります。そして、欠乏感など無く、信頼して受け取るだけでいいのだと腑に落ちていきます。神の愛の中で、させていただいている…それは、外側の現象の事を言っているのではなく、内側で実感していることを感じています。そして、私は私自身で生きているのではなく、神(源)に面倒見てもらっているのだと…『信頼』という生き方にシフトしていっている事を実感しています。奇跡を生きる ~Love&Light ~目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。フォロー2020.04.20 00:06問題が問題で無かったことに気付きました2020.04.16 01:04コロナウィルスを通しての赦しの実践②0コメント1000 / 1000投稿
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