神(源)に面倒見てもらっている





自我は、時間をリアルにし、「自分の思った通りに計画を立てたい」と思っている事に気付かされます。



そして、その計画が思った通りに行かないとき、怒りや悲しみを感じたり、それが「問題」だと見ます。



しかし、その未来を見て「計画を立てたい」という思考を見つめると、根底に欠乏感や恐れがあり、それを埋めるためのものだと気付きます。




そして、それが得られたら私の欠乏感を埋められると「ワクワク」して、


愛で在る完全な本来の私を見ないようにしています。




でも、赦しの実践を通して、聖霊と共に真に見ると、


その自我の自分騙しの種明かしがなされていきます。



そして、欲求が起こってきたとき「その欲求の目的は何か?」と自分自身の内側に問うた時、


自我の目的を認識すると、その欲求が消えていくことがあります。




そして、欠乏感など無く、信頼して受け取るだけでいいのだと腑に落ちていきます。



神の愛の中で、させていただいている…




それは、外側の現象の事を言っているのではなく、内側で実感していることを感じています。




そして、私は私自身で生きているのではなく、神(源)に面倒見てもらっているのだと…


『信頼』という生き方にシフトしていっている事を実感しています。



奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。