委ねることが怖いと気付きました



先日の奇跡のコースシェア会で、お一人の方が、仕事の時に「私」の自覚がないまま…私が仕事をやっていたんです。とシェアして下さいました。




でも、「私」という自覚がないまま…私がやってその内容が終わっているという現象を受け入れるのが怖かった…とお話して下さいました。




私自身もそうですが、実践を続けている仲間の方々も、その様な事は何度か経験しています。




そして、その時は私の心が中心に戻り、聖霊に心を委ね、なさっていただいているのだと実感しています。



でも、実際にその様なことを体験すると、自我は私はおかしくなっていくのではないか…



「私」がやっているという自覚がなく、現象が進んでいるというのは、正気ではないのではないか…



など、今まで馴染んでいた感覚、「私」がやっているという自覚が無くなることを強烈に恐れています。




私も、その心の中の自我と同一化して、世界の中の主人公である「私」がやっているという自覚を手放したくない…という欲求を何度も何度も認識しては光に捧げています。



そして、私が居ると思っていたところに、私は居なかった…というインスピレーションと共に実感もしたことがあります。



でも、それはパラドックスで、赦し(自我の見方から聖霊の見方に変わる心の変化のこと)の実践を続けていくと、



自我の分離感(罪悪感)が、解体されていき正気に戻っていきます。




そして、間違った心で世界を見るのではなく、正しい心で世界を見たときの1つとして、その様な体験をしたりもします。




今回、兄弟のシェアを聞いて、更に正気になること、真実を思い出すことに、恐れ・抵抗があるのだと認識して、共に光に捧げることが出来ました。



そして、瞬間・瞬間、心の中心に戻り聖霊に「どうぞなさって下さい」と完全に心を明け渡すことが大切なのだと実感しました。




兄弟のシェアを通して、気付きと改めて意志することが出来たことに感謝いたします。

奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。