裁きと愛は正反対のものである



裁きと愛は正反対のものである。


一方からは世界の悲しみのすべてが生じる。


もう一方からは、神ご自身の平安が訪れる。



奇跡講座ワークブック352
中央アート出版社より




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私の心が、分離感(罪悪感)という誤った信念を掴んだとき、外側の兄弟の違いや序列を見たり、優劣を付けたり、自分と比べたり……など、常にジャッジしています。




そして、ジャッジすることによって、自我の根底にある欠乏感を更に感じたり、瞬間的に欠乏感を埋めることが出来た!と高揚します。



でも、例え、欠乏感を埋めたと感じることが出来たと感じても、それは永遠ではないので、また欠乏感の感覚が戻り、それを埋めるために、頑張ろうとします。



そして、心の深いところでは、その欠乏感(分離感)ゆえに恐れ・悲しみが終わることはありません。



そして、それは常に過去を見ているに過ぎません。




ですから、心の私が既に妄想し終えたイメージを自我と同一化してリアルにするのではなく、



真実のみを見ることが出来る様に、聖霊に心を明け渡すことのみが、唯一の救いなのです。





そして、その事によって、外側とは関係なく、私の心は常に平安であり、何も欠けることの出来ない完全なスピリットだとの自覚が取り戻されます。





今日も、自我の分離感(罪悪感)を掴みたいという欲求を認識して、聖霊に心を明け渡し「真実のみを見たい」と意志します。




外側でどの様にあっても、何も問題など無かった…と教えて下さり、有り難うございます。


奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。