2020.06.02 23:31申し訳ないという思考に気付きました~個人セッションより~先日、個人セッションを受けて下さった方が、楽しいことがあって喜びを感じても、心の奥底では「申し訳ない」と感じる思考があると教えて下さいました。そして、なぜでしょうか?と聞かれました。それは、「私は個だ」と信じているとき、自我の根底にある罪悪感を認識されたのだと感じました。私自身も、奇跡のコースの実践を通して、自我の根底にある「存在論的罪悪感」に気付くことが出来ました。ですから、自我(私は個だという分離感)が存在していると信じている限り、罪悪感、または、私は罪がある幸せになってはいけない…と何処かで信じています。そして、真の幸せは普遍的であり、永遠であり変わることが無いのに、外側の状況によって幸せだったり、幸せを感じることが出来なかったり、限界(死)があり永遠ではない…と信じています。ですから、真の目覚めの道では、自我のトリック・分離を信じてるがゆえの「存在論的罪悪感」に気付く必要があります。そこに気付くことは、始めは存在論的罪悪感(欠乏感、焦燥感、無価値感、恐れ、悲しみ、憎悪)を、「私」と信じているので、それを心の内側で認識するのはきつい時期もあるのですが、何度も何度も認識して光に捧げていると……分離を信じている私はこんなに泣き叫んでいたのか…と自分自身に慈愛(優しさ)を与ることが出来たり、それは、消えるためのデータであり、『無』であったとの実感が深くなってきます。そして、そこに今まで焦点を当てていただけで、データの背景にあった無限の愛(神)そのものが本来の私で在ったと…自覚が取り戻されます。個人セッションで、存在論的罪悪感の気付きをシェアして下さったことで、『本当の私は何者か?』と問う機会になり、真実を分かち合うことが出来ました。そして、その方も奇跡のコースで言われる幻想を直視する(自我の力動)ことを認識されているので順調なのだと感じることが出来ました。なぜなら、幻想を直視することで、幻想を越えることができ…真実のみを思い出すことが出来るからです。聖霊の完璧な導きに感謝いたします。奇跡を生きる ~Love&Light ~目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。フォロー2020.06.04 02:37怒り・感情をどうすればいいの?~デーヴィッド・ホフマイスターより~2020.06.01 23:58裁きと愛は正反対のものである0コメント1000 / 1000投稿
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