私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない




昨日は、ある現象を通して、自我の被害者・加害者がいて、それを見ている私は彼らから脅かされている…という思考・感情を見つめることとなりました。




でも、その現象の最中にいながら、思い出したのは、ワークブックレッスン5「私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない」でした。




そして、その兄弟たちが罵りあっているのを止めながら、聖霊に祈りました。




そして、その現象が通りすぎたあとで、約1時間、赦しと瞑想をしました。




現象は、既に書き終えた過去であり、その現象自体に良い・悪いと意味付けをするのは、心が自我と同一化している状態です。




ですから、その現象を、私の心がどの様に見るのか…



自我と同一化し、兄弟の本性で無いものを見て、分離を保持させるのか



聖霊に心を明け渡し、「分離したという誤った信念」を訂正していただき、真に見るのか




私の心がすることはそれのみで、どんな行動をして、どんな言葉を表現するのかは、聖霊を信頼して、なさっていただく。




本当に、そのレッスンのみだと感じました。




真実でないものに、「それは本当なのか?」と問いかけ、聖霊の導きを信頼し従う。



今回の現象を通して、その機会をいただくことが出来ました。




そして、瞑想の時に、ビジョンでイエスが表れ、私を『愛してる』と抱きしめてくれました。



それは、今ここの無限に広がる神の愛の象徴を見せて下さったのだと、心が温かくなりました。



ありがとうございます。


奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。