嘘だからこそ直視する~赦しのレッスン~




奇跡のコースの実践を通して、自我の「良い人間にならなくてはいけない」という信念に何度も何度も気付かされます。



そして、そうでなければ「愛されない」「認められない」と強烈に自我は信じています。



デーヴィッド・ホフマイスターもリトリートで、スピリチュアルな行動(自我の正しさ)に焦点を当てない…と仰っていましたが、



スピリチュアルをやっているから善人であらなければならない…などと過去の概念の「良い人」に焦点をあて、その様な人間で在らなければいけないと自我を源として行動しようとします。




でも、これは自我が自分の良い部分だけ認めて、悪い部分は見ないようにと抑圧して心の中に沈めてしまいます。




でも、これは本性を隠し続けることに繋がり、欠乏感(分離感)を感じながら、良い人間になろうと頑張っているだけで、愛されないかも…や認められないかも…という恐れが無くなることは絶対にありません。



ですから、「良い人間になろう」(愛される人間になろう)と頑張ろうとする自我の心の動きに気付いて、



「私は何も分からない」と降参して、今この瞬間の最善を聖霊になさっていただく



又は、ガイダンスを受け取り、信頼してそれに従うのみでいいのだと実感しています。




そのガイダンスとは、聖霊が全体を見て全体のためになさっていただくので、自我から見ると自分が損をするように感じることがあるかもしれません。



でも、その「損する」という信念も、過去の概念から見た良い・悪いで解釈しているので、目覚めてない私から見た視点では、本当に私には何も分からないのです。




そして、聖霊は、悪魔のような私(憎悪、攻撃心など)を隠すことなく、否認することなく…しっかりと見つめて下さいと教えて下さいます。



もちろん、実践を始めた頃は、それが本当の私だと信じているので、その悪魔の様な心の状態を見つめることは、とても苦しくそんな自分を責めるという時期もありましたが、



最近では、過去に取り終えたデータが浮上してきては消えていく感覚を感じるので、ネガティブな思考・感情も、ポジティブな思考・感情も同じものだと感じることが多くなってきています。



そして、例えるならそれは海の波しぶきの様なもので、本性は全体である海でしかない



ただ、私の心がその色んな形をした波しぶきを「私」だと信じて、ポジティブな波しぶきだけを見て、ネガティブな波しぶきを見ないようにしていたので、



その奥の全体の海を、私自身が気付かなかっただけ…と深く腑に落ちています。



そして、自分自身の思考・感情を正直に出させてあげる。



その悪魔の様な思考・感情も「嘘」だからこそ、正直に表現してゆくことで、光のもとに消えて、その奥の愛のみを自覚してゆくのだと実感しています。



………



奇跡講座テキストより

(中央アート出版社)



幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。見ないでいることにより、幻想が保護されているからである。(T-11.V.1:1)


そして、幻想を保護せずにじかに見つめること以外に、どのようにして幻想を一掃できるだろう。だから恐れてはならない。あなたがこれから見ることになるのは恐れの源であり、あなたが学び始めているのは、恐れは実在しないということだからである。(T-11.V.2:2-3)




奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。