実践を通して実感すること~愛の中で生かされている~




先日、奇跡のコースの実践を通して目覚められたデーヴィッド・ホフマイスターのオンラインリトリートに参加させていただし、沢山のメッセージを受け取り今も心の中で響いています。




その中で自我は、目覚めを目的とした時でも、そのツールを理解(分かった)と思い満足する。



でも、本当は実践の後に理解が来る。




これは、デーヴィッドやフランシスが何度も何度も、自我の「I KNOW MIND」(私は知っている)を手放すべきだ…と仰っていた事に通じます。




私自身も、奇跡のコースのワークブックやテキストを読んで、又はそれ以前の心理学などを学び実践してきて、



初めは、文字を読んでそのツールが伝えている事を知る事から始まり、実際に実践をして「こういうことだったのか!」と体験から理解してゆきます。




ただ、スピリチュアルで引き寄せの法則や思考の現実化を実践していた頃は、自我の「特別な私」を強化出来たので、自我の視点から見ると、楽しく出来ていたのですが…




心の学びの最終段階である真の目覚めの過程は、完全な自我(分離した私)の消滅なので、



自我の消えていく恐れ(自我の死)や、強烈な抵抗を何度も何度も認識します。




ただ、実践を始めた頃と違うのは、




外側の現象に対して、自我の私がすべてイメージした世界で、それは既に終わっている…と思い出される。



外側は、私の心の選択を映す鏡のみであり、心が平安でないならば、聖霊に心を明け渡し、聖霊と共に真に見たいと祈る。



兄弟をジャッジしたり心配したり、恐れることは、すべて自分自身の思考の中で自分自身にしているに過ぎない。



どんな兄弟の状況を見ても、真実は神の子(愛そのもの)で在り、既に目覚めているので、兄弟の過程を信頼する。



ポジティブな現象もネガティブな現象も、「私が感じている」という思考を掴んでいるならばどちらも同じものであり、心に戻り聖霊と共に平安で在りたいと祈る。



ネガティブな現象を通して、ネガティブな思考・感情が出てくる時は、分離維持を強化するための誤った信念を手放す機会であり、目覚めの道では良きことである。



必ず「私」からの目覚めは約束されていて、その気付きのために、完璧に聖霊が導いて下さっている。



目覚めていない「私」は、何も分からないが、終わったところから導いて下さっている聖霊は瞬間・瞬間何が最善かを知っていて、すべて教えて下さっている。



外側の何を得ても、それは「無」であり、欠乏感や罪悪感が無くなることはない。だからこそ神の平安・心の平安のみに焦点を当てる。




外側の現象と真の幸せとは、まったく関係ない。



つねに、私達は神の永続的な幸せの中に居る。




……




書き出した様に、実践を通してその様な内容が、体験を通して腑に落ちている事に気付かされます。



良い現象も悪い現象も完全に同じと見て、永続的な幸せの心の状態にいらっしゃるデーヴィッド・ホフマイスターのお話を聞いて、



まだ、私の心の中で、自我を掴んでいる又は自我への執着があるのだな…と気付かされますが、



6年実践を通してきて、確実に自我の「分離」という誤った信念が手放され、神の愛の中で幸せで居ていいのだ…との信頼と安心感が深くなってきているのを感じます。




それは、本当に全体への感謝という感覚が広がり、頭を垂れる思いでもあります。




神(源)の愛の中で生かされている。



神(源)がすべて面倒を見て下さっている。



この事が心にいつも響いています。




ありがとうございます。







奇跡を生きる ~Love&Light ~

目覚めを目的として、奇跡のコースやアドヴァイタの実践を通して私から目覚めてゆきます。