真の愛に意味付けは出来ません~赦しの実践より~
赦し・祈りを実践して最近よく感じるのは、
自我の「愛」は、過去の概念を通して良き人・善人にならなければいけない……と、
欠乏感を根底に価値ある人間にならなければいけないと苦しんでいることに気付かされます。
自我は、何かでその欠乏感を埋めないと愛されない、認められないと信じています。
その自我の嘘(自分騙し)に気付いて、それを心の中で掴むのを何度も何度も辞めたいと手放してゆく。
そして、奇跡のコースで言われる「愛」にマインドでの意味付けは一切できません。
目覚めていない「私」がすることは、「何も分からない」と毎瞬・完全降参すること。
毎瞬・私1人では間違うという事を思いだし、聖霊の声のみを受け取り従うこと。
それが、愛の延長である。
これが普遍的になるまで、内側を見つめ心のトレーニングをしてゆく。
すると、自我の声はまるで自分がイメージした詐欺師の様であり、起こってないことを妄想しているジョークを信じていたのだ…という感覚が少しずつですが、浸透してゆきます。
そして、聖霊は、
「あなたは常に幸せなのです」
と教えて下さいます。
その永続的な幸せを阻んでいる誤った信念を手放すために、何処に行って、何を行動し、何を言うか…すべて教えて下さいます。
それに従うことのみが、目覚めへの最善の近道であり、本当の救いなのだと実感しています。
ありがとうございます。
………
このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない。
それは教えることのできる範囲を越えているからである。
しかし愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは、確かに目指している。
愛の現存そのものは、生来あなたが受け継いでいるものである。
愛の対象は恐れであるが、すべてを包み込むものに対極はありえない。
奇跡のコーステキスト
序文より
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